みえ教育ネットワーク

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彼らは『日本国憲法』に化身して、平和日本の礎となった

 4月29日(月)朝日新聞天声人語」が印象に残ったので、紹介します。以下引用。
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「主権回復」の日に思う

 後に東北大、明治学院大で教鞭(きょうべん)を執った作間(さくま)忠雄さんは、大学2年の43年に学徒出陣で海軍に入り、零(ゼロ)戦のパイロットになった。腕には自信があったが、特攻隊員の名簿には入らなかった

▼志願したのに選に漏れ、不満を抱く何人かで上官に抗議すると、選抜の基準を教えられた。「この戦争は負けだ。しかし、日本民族が全滅しては困るから、男独りか長男は除外せよとの命令だ。気持ちはわかるが、諦めろ」。出撃が決まった同僚は「死にたくない」と涙声で話した

▼次男や三男の隊員が次々と沖縄の海に散っていった。そのことが作間さんの脳裏を離れず、後に「沖縄の戦跡(たたかいあと)に憶(おも)う」と題する詩を書く。〈戦友(とも)よ/君は見たに違いない/あの凄惨(せいさん)な沖縄戦の地獄絵を/石塊(いしころ)のように殺され焼かれた島人(しまびと)を〉

▼復員し、憲法研究者になった。93年に本紙「論壇」に寄稿している。先の大戦が「侵略戦争」だというなら、兵士らは「犬死に」だったのかという議論が起きていた。断じて違うと作間さんは書いた。「彼らは『日本国憲法』に化身して、平和日本の礎となった、と私は確信している」

▼作間さんは先月15日、90歳で亡くなった。最近、たまたま生前の著作『二十一世紀を生きる君に』を手にし、その事跡を大急ぎで追ってみた。わかったことには限りがあるが、紹介したくなった

▼戦争を知る世代が少なくなった。政界でも同様である。安倍政権がきのう「主権回復」の式典を催した。作間さんならどう考えたか、と思う。
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 まやかしのアベノミクスで調子づいた安倍政権が、本性を現しつつあるように思えます。「憲法は日本が主権を回復する前につくられた押しつけ憲法だ。まず憲法96条をかえて発議要件を緩和し、次には9条を改正して日本を戦争のできる国にする。『美しい国、日本をとりもどす』とはそういうことだ。」そんな本音がちらつきます。

 5月19日(日)五十嵐仁さんが鈴鹿に来る
 そんな中、「私たちの願いが届く国会はできるのか」というタイトルで講演会が催されます。主催は鈴鹿革新懇で、講演するのは法政大学教授の五十嵐仁さん。資料代300円とのことですが、今の時期、ぜひ聞いてみたいお話です。
 詳しくは下記のチラシをご覧ください。