君が代を起立して歌うというのは、社会儀礼であり、組織のルールです。今の日本、国家を歌う場では、必ず起立、脱帽を求められる。教員は、そういう場に出たことがないのか、それともそういう場でも起立しないのか。 社会常識を教える場が教育現場。自分の思想で社会常識に違反することは、教育現場だからこそ許されない。
こういう教員は、自分の子どもが、サッカーの試合に出る、剣道の試合に出るとき、君が代斉唱をする場合、自分の思想で着席していたら良いんです。そして保護者仲間から奇異の目で見られれば良い。誰からも批判を受けない、社会の目が行き届かない学校現場で、非常識なことをするのは卑怯極まりない。自分の子どもや、子どもの友達、そしてその保護者の前で、自らの思想に基づいてこの非常識な行動をやれば良い。そこまでできるのか。
また、組織のルールである以上、それが嫌なら公立教員を辞めれば良い。公務員の身分保障に甘え過ぎています。どこの会社に、社歌を歌うのに着席したまま歌う会社があるのか。大阪府庁でも、採用任免式では、国旗の下で君が代を起立して歌うようにしました。論理的な問題ではなく、社会常識の問題ですから、最後は政治が決することです。教育の中身の問題ではないので、教育の中立性を振りかざす問題ではありません。