前回、岩波の『図書』の中から、赤川次郎氏の文を紹介しましたが、次号の7月号でも、維新の会の慰安婦問題について書かれていますので、紹介します。赤川氏は、講演嫌いだそうですが、やむなく断り切れずに、行うことがあるそうです。
(………前略)今年三つめの講演は、大阪中之島公会堂での「九条の会おおさか」主催のものだった。25年くらい前、「世界」で対談させていただいた宮本憲一さんがみえていて、懐かしくご挨拶した。
公会堂は満員で、私は原発の話を中心にしている内、時間がなくなって「九条」の話がろくにできずに終ってしまったが、会場には「九条の会」を支持する人々の熱気があった。
この公会堂の隣が大阪市庁舎だった。この原稿が掲載されるころ、橋下市長の「従軍慰安婦」を巡る発言はどうなっているだろう?
↑大阪市庁舎
橋下市長がアメリカ軍の司令官に、アメリカ兵の「風俗業の活用」を進言したことには唖然とした人が多かったのではないか。
日本に駐留するアメリカ兵は妻や恋人をアメリカに残しているわけで、その女性たちが夫や恋人にそんな行動を許すわけがないし、まして軍が奨励したりすれば司令官はアッという間にクビだろう。
橋下市長の想像力は、誠にいびつな形をしている。自分が戦争に行ったこともないのに、戦場の兵士の性欲処理が必要と言ってみたり、売春を禁止するのを、「きれいごと」と批判したり……。
戦時中の慰安婦問題にしろ、現在のアメリカ軍の場合にしろ、橋下市長の話に共通しているのは、女性を男性のための「道具」としか考えていないこと。その想像力は、日に何十人もの兵士に犯される女性の悲惨には全く及ばないのだ。 これが大阪という大都市の市長の発言なのである。
石原元都知事にしても、女性蔑視や同性愛者への差別発言などで、先進国なら何度も辞任させられているところだ。橋下市長の発言が、「個人的な意見」で終ってしまうなら、もはや日本は先進国とは言えない。
忘れてならないのは、安倍首相も基本的に橋下市長と同じ立場だということである。
慰安婦問題に「強制はなかった」と言い、かっての「侵略」すら否定しようとするのは、「九条」を葬り去ろうとすることにつながっている。
私は、橋下市長があそこまで非常識な発言をくり返すのには、安倍首相との打ち合せの上、「憎まれ役」を引き受けることで、安倍政権への批判をそらす目的があるのではないかとさえ勘ぐってしまう。
橋下市長個人への批判に終らせることは、安倍政権の「衣の下のヨロイ」を見逃すことだ。たとえ口先でどう言おうと、橋下市長と安倍首相は「同類」なのである。(………後略)